発達凸凹夫婦の日常

発達障害(ADHD)当事者夫婦・Kenちゃん&Tomoちゃんの日常とか思うこととか。イベントやったりお茶会やったりもしてます。

発達障害のある人=めんどくさい人ではなく…

4月2日~8日は発達障害啓発週間。
そこで、私(Tomoちゃん)とKenちゃんが思う事をちょっと書いてみます。

発達障害の人達の生きづらさ

これからの時代は「自分らしく生きる」時代です。
発達障害の人達というのは、これからの時代において「人が本来、本質的に大切にすべき物事」を知っている『時代の最先端を行っている人達』ではないかと思います。
しかし、時代を先取りし過ぎて生きづらいのではと私達は考えます。

自分の好きな物を素直に好きと言える事、そこから湧き上がるクリエイティブなアイデア、様々な違いや凸凹がある事で共同創造し合う事、一人一人にきちんと向き合い丁寧なコミュニケーションについて考える事…
そこにきちんと向き合う事が優しい世の中を作り、社会を・世界を発展させていく鍵だと考えます。
発達障害の人達にとってのニーズは、これからの時代を生きる上で、人が本来、本質的に必要である物事、大切にすべきことではないかと思います。

そもそも違う事が当然。

今の世の中は何でも急ぎすぎ、出来て当たり前、解って当然が多すぎると思います。
それが出来ないことは、社会不適応なんでしょうか?
それってものすごくおかしい・変だなと思います。
極端に言えば、それに疑問を持たないってあまりに盲目的すぎる気がする。

そもそも、生まれ育った環境・学んだ環境など違えば当然違いは出ます。
みんな同じなんてそもそも無理です。
私たちは人間であって機械ではないんですから。
皆、見てる景色も考えてることも違うし、頭の中身は見えません。
体力も、調子いい時・悪い時もみんな違います。
みんな違うのが当然なのに、比較や差別する事に疑問を感じます。
違って当然という考え方が浸透しない限り差別は無くならないと思います。

みんな違うからこそ話し合う、一人一人に合った対応を考える。
それは障害有る無しに関わらず仕事・恋愛・夫婦・友人どの人間関係でも大切なこと。
働き方においても、生き方においても大切なこと。
「人が本来、本質的に大切にすべき物事」です。
今の時代どれだけそれが叶っているんでしょうか?
そこに向き合う事ってめんどくさいんでしょうか?
そこに向き合う流れを作る発達障害の方はめんどくさい人なんでしょうか?

障害者の『害』というのは結局のところ。

障害者の害は本人が周りにもたらす害ではなく、社会が当事者達に対してもたらす害ではないかという気がします。
例えば、コミュニケーションにおいて苦手が有る事について言えば、今の社会において丁寧なコミュニケーションを心掛けている人はどれくらいいるんでしょうか?
感情との向き合い方について、それを教えてくれる人や機会はどれほど浸透しているんでしょうか?

世の中に疑問を持たないことは問題だと思うし「当たり前、そう言う物だから」という訳の解らない固定概念に対して深く掘り下げようともせず鵜呑みにしている方が盲目的すぎる。

その訳の解らない固定概念に合わない人ってめんどくさいんですか?おかしいんですか?

確かに勉学も大事だけど、もっと他に必要な事、大切にすべき事って沢山有るはずだとも思います。

思いやりや優しさ、仲良く、丁寧に向き合うこと、違いを認めて活かすこと、静かに過ごすこと、ありのままで有って良いこと…etc.
発達障害のある人・障害のある人=めんどくさい人ではなく、それらの大切にすべき事に向き合うきっかけだと思うのです。

人が本当に大切にすべきことを大切にする。

それが優しい世の中を作り、社会を・世界を発展させていくことに繋がると思います。

当たり前が当たり前でない事を思い出し、差別が無い世の中になります様に…